松陰神社の限定御朱印は月命日が狙い目!松陰先生に会いに行こう
2018/05/04
ご訪問ありがとうございます。
歴史好きさんの中には、幕末好きな方も多いのではないでしょうか。
こんにちは。プリシラです♪
歴史上の人物がお祀りされた神社はいくつも存在しますが
今回は幕末に「先生」として多くの人物に慕われていた吉田松陰がお祀りされている神社です。
その名も松陰神社。
松陰神社は松陰先生の眠るお墓もある、歴史好きにはたまらない場所です。
そして月に一度、いただくことができる、特別御朱印の噂を聞きつけて
この度、松陰神社を訪れてきましたので、ご紹介します。
松陰神社ってどんな神社なの?
松陰神社は明治15年に創建された神社です。
そこには、松陰先生とそのお弟子さんによる、歴史があります。
幕末の時代、人々やお弟子さんから敬愛されていた松陰先生ですが
その考え方は幕府を脅かすものと捉えられ、安政の大獄の際に江戸にて処刑されてしまいます。
そして冬至の罪人を弔うお寺であった「回向院」に埋葬されました。
わずか30歳という短い生涯でした。
しかしこの段階で松陰先生には彼を慕う多くのお弟子さんがいました。
彼らはできる限りのことを尽くしましたが、お墓を移すことは許されなかったそうです。
そして4年後、お弟子さんたちはようやく藩主の許可を得て
回向院から松陰先生の亡骸を移すことに成功します。
その時に選ばれたのが、元々は毛利家のお抱え地であった
現在の世田谷区若林です。
時代が進み、明治維新という大きな流れの中で、新しい国造りが開始されました。
そうやって国が落ち着いてきた頃、お弟子さんの間で松陰先生の御霊を祀る神社を作ろうという声が挙がります。
そして明治15年、墓畔に社殿を築き、松陰神社が創建されました。
まさにお弟子さんたちの敬愛の形が神社になったのです。
御祭神とご利益
御祭神は言わずと知れた吉田松陰先生です。
松陰先生といえば、幕末に「松下村塾」を作り、そこで塾主を務めました。
そこに通った倒幕の志士たちを育て上げた人物として
多くの志士たちから敬愛されていました。
そんな歴史から、松陰神社では学び・志などに関する願い事を持った
参拝者が多くみられます。
多くの偉人を輩出した偉業を持つことから
学業成就、学問向上のご利益があるといわれているのです。
特に人気なのが松陰先生の書いた「志」という文字が入った絵馬です。
成長や努力を願うのはもちろん、試験や勝負の祈願に訪れるのもおすすめです。
松陰神社には見どころが盛りだくさん!
松陰神社は商店街を抜けた先にある、地元の人に親しまれている神社です。
春には見事な桜が咲き誇る、桜の名所でもあります。
そんな松陰神社には見どころが満載なのです。
実際に私も見て納得した、おすすめの見どころをご紹介します。
社殿と灯篭
真っ直ぐに続く参道を歩いていくと、正面に立派な社殿が見えてきます。
参道の途中には立派な神楽殿や松陰先生の銅像もあるので、見逃さないようにしましょう。
明治15年の創建当初、門下の人々によって造られた松陰神社は
茅葺き屋根の小さな祠だったそうです。
昭和2年~3年にかけて、現在の社殿が再建されました。
初期の社殿は現在でも本殿の内陣として使用されています。
さらに、社殿の側に並ぶ石灯籠も、実はも逃せないスポットなのです。
ずらりとならぶ石灯籠の数は全部で32基あります。
このひとつひとつは、松陰先生を慕うお弟子さんや縁のある人物が奉納したものなのです。
有名どころでは、伊藤博文・木戸孝正・井上馨・高杉晋作など…幕末に名を馳せた人ばかりですね。
石灯籠には奉納者の名前が記されているので、歴史好きの人なら
石灯籠だけでも、楽しめること間違いなしです。
松陰先生のお墓
社殿に向かって左には松陰先生のお墓へ続く細道が見えます。
境内の一角に、松陰先生を始め、幕末を生きた烈士たちの墓所があります。
お墓に続く最初の鳥居は、なんと木戸孝允氏寄贈の鳥居なのだとか。
もうひとつ鳥居をくぐった正面に松陰先生のお墓があります。
松陰先生のお墓のすぐ脇にあるのは、志を同じくして安政の大獄で刑死した
小林民部氏・頼三樹三郎氏のお墓です。
そして、松陰先生のお墓の前には葵の紋のついた水盤と燈籠があります。
葵の紋といえば、徳川家です。
実は維新後、徳川家から謝罪のため寄進されたものなのだとか。
禁門の変の後、長州征伐を行った幕府により、松陰先生のお墓は壊されてしまいました。
その後、平和な明治になり木戸孝允らの手により、お墓が修復されたと聞いた徳川家が
謝罪の意を込めて奉納したと残されています。
松陰先生のありがたいお言葉おみくじ
松陰神社には松陰先生にちなんだお守りや絵馬など、ご利益をいただくことができます。
そんな中、私が気になったのは…「吉田松陰先生 御言葉みくじ」です。
木箱に入った緑色のおみくじで、おみくじを広げると
松陰先生が残した数々のありがたいお言葉が書かれているのです。
これは是非、私にも言葉をかけてくだされ…ということで
おみくじはお正月以外は引かないのですが、手を入れてみました(笑)
もちろんおみくじとしての役割もあるようで、「末吉」と書かれています。
おみくじを広げていくと、どーん、と松陰先生のお言葉が!
既に今年の私を見透かしているようなお言葉が!
興味がある方は、実際にひいてみることをおすすめします。
ありがたや~ありがたや~
ひとまずお財布にいれて、いつも持ち歩いています。
松下村塾の再現
松陰神社の目玉ともいえるのが、松下村塾の再現です。
松陰神社の本家は山口県の萩にあります。
そこには幕末当時のままで保存されている松下村塾があります。
松下村塾とは、吉田松陰が師となり学びの場として作った私塾です。
当時、長州藩には「藩校・明倫館」がありましたが、士族の身分でないと学べないなど様々な制限がありました。
松下村塾はこういった制限なく誰でも受け入れて教育をするのをモットーに
士族の他に、医者から魚屋まで「学びたい」という意志があれば誰でも学べる場所だったのです。
実際に松陰先生がここで指導したのは1年ほどでしたが
その功績は歴史を動かすほど大きなものだったと言えるでしょう。
松下村塾からは高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文など、明治維新の原動力となり
また、新政府を動かした人材が多く輩出されたといわれています。
そんな松下村塾がどんな様子だったのか、どんな場所で学んでいたのかを
垣間見ることができるのが松下村塾の再現です。
実際に見ると意外にも狭く、小さな家で行われていたことが分かります。
場所はどうであれ、学ぶものの大きさは計り知れなかったのではないでしょうか。
松陰神社では月命日にもらえる限定御朱印が狙い目
さて今回、私が松陰神社を訪れた目的のひとつは「御朱印」です。
そして実際に訪れたのは10月27日でした。
実は27日は松陰先生の月命日にあたります。
松陰先生が処刑されたのは1859年10月27日です。
これを知らずに先に訪問してしまったのですが、私はまさに命日に訪れていたのですね!
だから例大祭をやっていたんだな…(今頃、思い返す。。。)
松陰神社では普段から申し出ることで御朱印をいただくことができます。
しかし毎月の月命日にあたる「27日」は、限定御朱印をいただくことができるのです。
限定御朱印には、御朱印の片隅に松陰先生をかたどったシルエットが入っています。
コレ、普段の御朱印には入りません。
27日が平日だと難しいかもしれませんが、もし休日とぶつかった際は
是非、限定御朱印を手に入れてみてくださいね。
ひとつ注意事項があります。
例大祭と重なっている日は、神主さんや巫女さんは朝から準備に追われています。
そのため、御朱印を直接、御朱印帳に書くことができないそうです。
その代わり、和紙に書置きしてある御朱印をいただくことができます。
私も実際にいただいてきましたが、印刷ではなく手書きでした。
ですから、個人的には全く気にならないのですが、「必ず御朱印帳に直書きしてほしい」
というこだわりを持っている方は、注意してくださいね。
アクセス
松陰神社は東京都世田谷区にあります。
私も初めて乗ったのですが、東急世田谷線の「松陰神社前駅」が最寄です。
東急世田谷線は「三軒茶屋駅」から乗り換えることができます。
2両編成の可愛らしい電車でした。
駅からはすぐに松陰神社通り商店街に出られるので
その雰囲気を楽しみながら歩くうちに、目の前に松陰神社が現れます。
歩いた時間は3分~5分といったところでしょうか。
地元に密着したアクセスに便利な場所なので、迷うことはないと思います。
おわりに。。。
世田谷の閑静な住宅街の中に違和感なく馴染んでいる松陰神社。
地元の人を始め、幕末ファンが集まる、和やかな雰囲気の神社でした。
歴史の教科書だけだと、幕府に反したから処刑された、というマイナスイメージしかないですが
実際は様々な言葉を残し、身分に関係なく学びの場を与えた偉大な人なのです。
知られざる歴史と、松陰先生の人柄に触れられる素敵なスポットです。
最後までお読みいただき
ありがとうございました(≧▽≦)